こんにちは。
わたしは嘘しか言いません、じゃんです。
プロフィールページをご覧いただきありがとうございます。
突然ですけど、みなさん自分が好きなことって本当にわかってますか?
わたしは20代の全てをギャンブルに捧げてきた無類の博打打ちです。
競馬競艇競輪オートなど公営ギャンブルに加えて、パチンコ、麻雀、ポーカー、トトなどの私営?ギャンブル、さらにはゴルフやボーリング、UNO、ジェンガ、ダーツ、カラオケの点数勝負、etc いわゆる握る、という個人のお付き合いまで、あらゆるギャンブルをやってきました。
そんなわたしですから、自分の好きなことはなにか聞かれたら、真っ先に、ギャンブルです! と答えていました。
そうです。答えていた、んです。少し前までは。それがなぜか今、わからなくなってきまして。
ギャンブルっていうのは確かに、時間を忘れて熱中できるぐらい楽しいものです。けど、楽しくない時間もいっぱいあります。というより、ほとんどが楽しくない時間で、一瞬の楽しい時間のために我慢しているんです。
もう目の前の勝負に熱中して、それだけしか見えていないときは感じなかったことが、何年も続けていくうちに刺激に慣れてきたせいか、冷静に、つまらない時間を考えるようになりました。
そうしてふと思いました。あれ、おれってこれが本当に好きでやってるのかな、って。
不思議なもんで、一度疑問を抱くと、とまらなくなってしまって、好きな瞬間とそうでもない瞬間を分けたりなんかして、今思うと、やめておけばいいのに、そのまま熱に浮かされているほうが幸せなのにって思いますけど。
たとえば、朝一番のパチンコ屋の、静かな店内に響くメダルの循環する音と空気は好きだな、大当たりがとまらなくなって、煙草を吸いながら、今日はいくら勝つか皮算用してるときは好きだな。
雀荘にある、象の皮膚みたいなソファに座って食べる焼きうどんも好き、牌をいじりながら仲間と冗談を言い合うのも好き、徹マン明け、道で吐瀉物を突いてるスズメと見た、あの朝陽は痺れる。……でも、めくり合ってるときのひやひやした感じは、ほんとうはあまり好きじゃない。
ギャンブラーが考えることは、どうやれば勝つか、それだけです。
(正確に言うと、どこまでなら損をしないか、分岐点を探すことが一番大事なんですけど、まあ細かいことはおいといて)
余計なことを考えると、立ち止まっちゃう。もう身体が動かなくなる。身体が動かなくなるってことは、意識でどうこういう話じゃなくなる、わたしより正直なわたしが言っているんだから、嫌でもそう思うしかありません。これじゃなかったんだ、って。
まあここまではいいんです。けど、やっぱり、元来損をしたくない人間としては、どうしても、関わってきた時間が長すぎるんですよね。ギャンブルと向き合いすぎました。今更違いますよって無意識にいわれても、そう簡単にわたしは納得できない。
それで、冒頭の、わたしは嘘しか言いませんに戻ってきます。
結局好きってなんだろう?
わたしは嘘しか言いません。これは難しい話で、わたしもよくわかってないんですけど、自分で自分を完璧にはめくりきれないってことだと解釈しました。(間違ってるかもしれませんけどしりません)
、つまり、わたしはギャンブルが同じ時期にギャンブルを始めた仲間によくよく話を聞くと、わたしと同じように疑問を持ちながら惰性で続けてる人、ほんとうに好きで好きで仕方ない人、さらには焼けすぎて、焼け焦げて、鍋の底が落ちちゃった人などさまざまでしたが、ほんとうに好きな人たちが一貫して追いかけているあるイメージは、わたしにも心当たりがありました。
それは、自分が考えていた予想と、現実が完璧に重なり合う瞬間でした。